スキナモノート

SEOやマーケティング、WEB系に役立つ情報を発信しています。好きな事を中心に、文房具の記事もたまに。

ブログを書いて思ふこと-誰がために鐘はなる

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おかげさまで最近はだいぶ記事を書くペースが上がって来ています。
やはり書き続けていると色々な事が起きますね。書かなくても人は来てくれるようにもなってきましたが、やはりブログを続けている以上は書かなくてはと改めて思いました。
だって、お店開業して、たくさん人が来るまでは目新しい商品を取り入れてるのに、安定して人が来るようになったら新しい商品をいれないままでは、今まで来てくれた人も、新しいお客さんも来てくれなくなっちゃいますからね。

それで新しいチャレンジをと言う想いで、今はSEO国物語と言うコンテンツを作っているのですが、今週中にと言っていたのに未だに公開出来ていません。なんとか明日までにはと制作を続けているのですが、書くだけでなく、ある程度見せる部分でも作りこもうかと考えていて、その部分がもう少しという感じです。

もう一つしっかりと書き込んだ記事を書いているのですが、そちらも同時進行で書いているのですが、新しいチャレンジにしても普段の記事にしても、ある程度のユーザーターゲットと言うのはあるのですが、ターゲットと言うのはあくまで予測でしかありませんし、どうなるかはやってみなければ分かりません。

正直な所、昔は本当に見たり読んだりしてくれる人はいるか。一体誰の為に書いてるんだろう。書きながらの迷いというか。そんな風に思っていたりもしたんですよね。

それこそ今回のタイトルである『誰がために鐘はなる』状態です。
正確にはちょっと意味合いは違うんじゃ?と思うかもしれないですが、

誰がために鐘はなるはヘミングウェイの有名な小説ですが、元は詩人のジョン・ダンの言葉ですね。
これは、超簡単に要約をすると、この鐘は人の死を知らせるための鐘なんですね。ただ普通に考えれば誰かのなんて知らない訳です。しかし、知らない人の知らせる為の鐘なんて俺は知らねえ!と思うのではなく、人、人類は1つです。知らない人であっても同じ人であり人類の一人が亡くなった訳です。人類みな兄弟ですからね。兄弟の一人が亡くなったとも言えるでしょう。なので関係なくはないですよねって言う事で、誰のためになどと疑問を持つのは止めて、自分のためになっているのですよと。

他人であってもその苦しみを理解する心を持ちましょうと言う事だと思うのですが、誰かが苦しみや迷いで悩んでいるのであれば自分でも力になる事は出来ると思った時に、誰の為にと言う気持ちはなくなりました。
結局はそれがまわり回って自分のためにもなります。一人だと思っていたのが、たくさんの人が同じように思っていたり。
自分の為にと言うのが先に来ると余り良い結果に繋がらないものだったりもしますよね。

こんな事書いてないで、書いてる途中のコンテンツを仕上げた方が?と思われそうですがなんとなく(笑)
と言うことで、今日も最後までお読みいただきありがとうございます。感謝